『現代の英雄 小説家』より抜粋

 

p.248-9

現代の小説家は、一つの義務を持つ。それは、人類の直面している根本問題に心をひそめなければならぬ、ということである。風俗小説や私小説に意味がないとはいわない。そういうものを書いても、なお現代の大きい課題に通じるものでありたい。現代の課題とは何か。それは、ヒロシマの原爆からクリスマス島の水爆にまでつながる深刻な危機である。これは、東西の対立から生まれたものである。この対立を解きほぐすために、むろん、政治家も知恵をしぼってもらいたい。だが、政治家だけでは手に負えぬ。各国の政治家の発言は、人類の知恵に裏打ちされたものではない。現実の利害だけがものをいっているにすぎぬ。過去はそれでもよかった。こんどの危機だけはなまやさしいものではない。人類の危急存亡を云々しても、けっして誇張ではない。

 クリスマス島の水爆実験にたいする抗議船団という考えは、けっきょく取りやめにはなったが、しかし、現実の動きのなかから生まれてきた一つの知恵である。文学者もこの課題に取りくんで、文学の立場から、新しい知恵の言葉を見いださなくてはならぬ。これは、一般の市民が胸のうちにかんじながらも、それを言葉にあらわしえないものである。文学者に課せられた仕事である。文学者が現代の英雄であるのは、ただ収入の多いという理由からではない。その使命のために英雄なのである。この英雄が、自分の重荷を捨てるならば、読者は、やがてそういう作家を見放してしまうであろう。だが、英雄も、自己の重荷のためにたおれ傷つくことがないとはいえぬ。スターリン時代のロシアでも、多くの文学者が不当に非難されて、粛清の犠牲になった。こんどのハンガリー事件でも、文学者の多くが血を流している。かれらは、ただ政治的判断を誤った愚か者にすぎぬ、とだけいってすますことができるか。そういう人たちもいよう。だが、この人たちは、めいめいが自分の内心に相談して、危険な道にあえて踏みこんだのではないか。

 人類の苦難がいっそう深くなるにつれて、文学者の混乱もまた繰りかえされるかもしれぬ。それは仕方がない。選ばれた文学者の宿命である。かれらは最後の一人までが、自己の責務をつらぬくために、知恵と工夫を積みかさねなければならぬ。それでこそ英雄の名にふさわしい。現世の繁栄などは物のかずでもない。現在の人類の危機は、この新しい英雄と無数の市民とが手をにぎり、力を合わせることによってしか乗り越えることができないであろう。

 小説家を志望するということは、こういった英雄の一人になることをきびしく決意することである。それはたしかに、選ばれた人だけに開かれた狭い門である。あなたが、その覚悟ならば、私はただ祝福するのみである。あなたは力をつくして、この狭い門をくぐらねばならぬ。

 

p.216-231「10ある作家の生活ーーもし、私ならば・・・」

 

 朝は四時に起きて……

 ベッドのなかで目をさますのは、四時である。私は、その時刻に目覚(めざま)しを掛けておく。夜はまだ明けていない。すぐ床を出て、部屋のなかの洗面所で顔を洗う。そのときいつも考えるのだが、菊池寛は顔を洗わずに、そのまま仕事をはじめたということである。そうだ。あの男は、午前中に小説を書いて、午後は芥川龍之介や久米正雄などといっしょに遊んでいたのだ。他の連中はこれから仕事にかかろうというときに、もう、一仕事も二仕事もおえてしまっていたのである。だが、私の仕事は少しちがう。午前中には片づかぬ。私は、菊池寛のような通俗小説を書きたくない。私は内心のもっとも深い要求にしたがって、作品を書きたい。

 私は、朝の時間といっても、それはだいたい五時から七時までの二時間ばかりであるが、この時間に、昨日書いた文章の推敲(すいこう)をすることにしている。朝めざめたばかりで、まだ胃袋が空(から)なので、頭は澄んでいるし、また、体じゅうにエネルギーが満ちあふれている。いちばん労力のいる仕事には、この時間をあてることにしている。

 七時十分前に食堂に降りていく。子供たちは学校に遅れるというので、あわただしい。私は、朝刊をちょっとひろげたりするが、学芸欄を少し読むだけで、他はあまり見ない。新聞小説も読まない。子供たちや妻は、パンと紅茶といった当世ふうの食事を好んでいるが、私は、おかゆを食べることにしている。おかゆのなかには肉を入れる。これは、朝鮮人から教えられた食物だが、私の胃袋にはふさわしい。食事はゆっくり三十分ぐらいかけてやる。食後には、みかんとケーキを食べることが多い。ケーキは、カステラの類が多い。なお、紅茶やコーヒーの類はほとんどもちいない。

 食事の後、私は庭に出る。庭といっても、そこに植えられている木は、他の庭のばあいと少し異なっている。私は、匂いのする花の咲く木か、でなければ、果物のなる木を集めている。匂いのする木は、梅、沈丁花(じんちようげ)、ライラック、くちなし、茉莉(まつり)花(か)、ジャスミン、木犀(もくせい)といったぐあいである。私は、花に近よってその匂いをかぎ、天地の微妙な精気にふれる。少し気分のふさぐときなどは、たちまち元気になる。これは、煙草を吸わぬから、そのかわりというのかもしれぬ。

 私は、七時半に迎えの車で、仕事の家に出かける。ここでちょっと、私の仕事の家について断っておかなければならぬ。仲間の作家たちは、たいてい仕事部屋もっている。それは、文字どおり部屋である。自分の家で仕事をしていると、電話がかかってきたり、来客があったり、家庭内の日常の些事にさまたげられたりして、気の散ることが多い。むろん、ばあいによっては、雑誌社が旅館にいわゆる罐詰にすることはある。これも考えてみれば、仕事部屋の特殊なばあいにすぎぬ。ひそかに思うのだが、自分の家では、好みのよい、高価な机にむかって原稿を書きながら、旅館では粗末な机でよく仕事ができるものだ、と。作家というものは、案外のんきなのかもしれぬ。だが私はそうではない。自分の気に入った場所でなければ、絶対に一行も書けぬ。だから私は、罐詰になるということがほとんどなかった。

 そんなわけで、私はだいたい自分の家で仕事をすることが多かった。数年前に、少し忙しくなったので、近くに仕事部屋をもうけた。それは、庭の広い家の離れの六畳であった。私は毎朝弁当をもってそこに出かけ、夕方家に帰ってくるという生活を、しばらく続けたことがあった。たしか上林(かんばやし)暁(あかつき)もそんなことをしている、と考えながら。だが、これはたいへん能率の悪い方法であることに気がついた。たとえば、少し調べて書かなければならぬものには、参考書の持ちはこびがたいへんであった。これは、私小説を書く人の方法であると気づいた。私の仕事は、空想だけでは書けない。私はまた、もう一つべつのことに気がついた。それは、文士が書斎で仕事をするのが、どうも時代遅れになったということである。書斎ではなくて、仕事の家を持たねばならぬと決心した。さいわいなことに、思いがけなく私にブームがおとずれた。それは数年もつづいていた。私はそのときにえた金で、仕事の家を建てた。

 

原稿はテープ・レコーダーも使って……

 それは、延百坪の家である。地上三階、地下一階にして、一階あたり三十坪から二十坪ということにした。地下室は書庫にした。二階は資料、といっても、ノートとか、古文書(こもんじょ)といったものだが、そういうものを集め、また、マイクロフィルム、8ミリのフィルム、幻灯と種板といったものを集め、さらに多くの記録写真を集めることにした。私は、三階で仕事をすることにしたが、ここには、仕事のために必要なもの以外はいっさい置かぬことにした。主として、原稿紙に向かってペンを走らせることが多いが、テープ・レコーダーに吹き込むこともある。

 ときによると、私は心のなかに、語りたいこと、訴えたいことがあふれでてきて、ペンの速度ではとうていおいつかなくなる。そのときは、テープ・レコーダーにむかって早口にしゃべる。これは忠実な機械だから、どんなあいまいな言葉も、あいまいなままに忠実に記録してしまう。そういった状態は、だいたい二時間ぐらいしかつづかぬ。つまり、テープの上下両がわの分だけである。それをあとで文字に写すのだが、私が二時間ぐらいのあいだにしゃべったことを、助手が原稿紙に写しとるのに、まる一日かかってしまうことが多い。だがこれは、速記よりもじっさいに役に立つ。速記者を終日はべらせておくのはたいへんなことであろう。私は、しゃべりたいだけしゃべってしまうと、吐瀉(としや)したあとのように、頭のなかがここちよい空虚につつまれてしまう。そして、体もつかれる。むろん、このしゃべったそのままを小説にしているのではない。

 

 

p.246-231「時は金なり」の信念で、質の高い仕事を……

 文士仲間は、忙しい人でも、古本屋回りをしたり、市(いち)にいったりすることを好む。私もそうであった。だがある日、古本のために使っている時間が莫大であることに気がついた。これはどうにかしなければならぬと思った。むろん、貴重な資料で、他に類のないというものは、図書館に行って、マイクロ・フィルムを写してきた。図書館ではなくても、すべてこの方法を使っていた。それは助手がやってくれる。だが、私は昔からの惰性で、古本というとまったく目がない。学生時代からの習慣である。市に行くと、仲間がやってきていて、いかにも楽しそうである。だが、これには抵抗しなければならぬと思った。

 私は、目録を利用したり、あらかじめ申し込む方法をいくらか強化しただけではなく、市には、代わりの有能な人間を向けることにした。はじめはうまく行かなかったが、慣れるにしたがって、これがたいへん有効であることに気づいた。使いの者は、私の欲しい本をかならず買ってきてくれる。また会場から電話で連絡してくれることもある。ばあいによっては、特別の方法によって、出品前に、主要図書の目録だけでなく、全出品目録を私のためだけに作ってもらうというような方法も、ときに取ることがある。むろんこのときには、総計で売価の一倍半近くなってしまう。だが私は、費用のことは意に介さない。

 時は金なり、ということがある。流行作家のばあいは、たしかにこの言葉が適応する。文士のうちで長者番付にはいっている北条誠などは、自家用車のなかにテープ・レコーダーをそなえつけて、ラジオ・ドラマを吹き込むという。また、自動車を寝室に代用しているという。一日三時間ほど眠って、あとは暇さえあれば眠ることにしているともいう。何千万円という収入をあげるためには、こういった方法もやむをえぬかもしれぬ。

 だが私は、少しちがったことを考えている。それは、「時は金なり」というのではなく、「金は時なり」ということである。かんたんにいえば、お金で時間が買えるということである。この信念に立っているから、古本屋で時間を使うことを好まない。ある仕事は、自分がやる必要はない。他人にまかせていい。多少の金銭を払えば、だいたい同じ程度にやれる。その時間だけ浮くのである。お金で時間が買えるのである。

 アメリカでは、経営者のトップ・マネージメントということがいろいろ研究されているが、そのコツは一つしかない。他人にまかすことのできる仕事は、全部他人にまかしてしまうのである。他人だから、自分がやるのと同じようにはできない。だが、時間には換えがたい。むろんこのためには、かなりたくさんのお金が必要である。さいわいに私にはそういうお金がある。むろん私の何十倍もお金を持っている人たちはいる。私にいわせれば、そういう人たちはお金の使い方をほとんど知らない。お金のいちばん大切な使い方は、時間を買うということである。他人が一時間を一時間にしか使えぬばあいに、私はこれを何倍かに増して使う。私が仕事の家を建てたのは、いつもゆたかな時間をもち、それを、小説を書く仕事のためにふんだんに使いたかったからである。

 

 

<出典>

荒正人『現代の英雄 小説家』(光文社 1957)。