発言 1    

 荒正人が「第二の青春」(注1)をうたったのは、第二次大戦が終結した1945年であった。1946年『文學時標』で、「石もまた叫ばん」(注2)と宣言し, 戦争の後のがれきからの再生の覚悟を表現した。 

 

 今、私たちは自然からの激しい攻撃3.11を経験し、まさに第二次大戦後と同じ辛い苦しみにのたうっている。ジョセフ・コンラッドが『闇の奥』(注3)で描いたように、人間が地球をコントロールするというのは傲慢なこと、できないことかもしれない。まして、地球に対して、生きとし生けるものすべてを人間が制覇するなどありえないということを学ぶべきである。そのうえでどのように人間らしい意欲を持って懸命にこの時、場所を生きていくのかを探るべきではないだろうか。

 

 「私は黙らない、あなたにかわって 発言する」とアナイス・ニン(注4)はいう。

 

 科学万能、技術の世紀と叫ばれている21世紀現代において、私たちはそんなにも技術に自信を持っていいのだろうか。人が自然を制覇することはできない。古今東西の知恵から教わっているはずだ。技術は科学が制御して、その科学は、哲学、芸術、文学が先導してこそ、私たちは、地球の上に生きていくすべを手に入れられるのではないだろうか。謙虚にこの時代を生き抜くこと。そのためにはぜひ、人を人たらしめる貴重な財産、文化、芸術、文学によって科学を先導し、この地球を守り、生きとし生けるものへ懸命に表現していかねばならない。発言せねばならない。

 

現実のエヴィデンスのみに頼るのではく、人が人たる由縁である想像性に根差した理論、哲学、文學、芸術にしっかりと基盤を置いて言葉を探し、そこから文化的な発言をすること、発言の場を設けること、また、その発言に耳を傾け、表現する意味を探ること、その場のない人は、その場を創造し、発言できない人は、発言する楽しさをしること、その意味を知らせ、その場を提供すること。そのために学ぶのだ。

 

 特にシニア世代の人たち、この地球における、人の責任を自覚し、美しく、華やかな、輝ける生を今一度、「第二の青春」を味わうように経験しようではないか。充実した生、地球を取り戻すために、力を出そうではないか。

 

 この社会で活動する主要な役割を果たした後、自由で気楽な「第二の青春」を、楽しみ、遊び過ごすだけでなく、充実した生を全うするためにも、さらに学び、伝えていこうではないか。なんのしがらみもない「第二の青春」を謳歌するひとたちが、「文化デモンストレーション」の意味を見つけ、社会を変えるために、発言する。いまは忙しい現役の人たちよりも前に出て、次世代、若い人たちに伝えていく責任の一つを自覚しようではないか。そう、「地球を守るため、生きとし生けるもののため」発言する必要が、今、求められている。「第三の人生」において。 (植松みどり、2013年4月19日、記)

 

 

【参考文献】

1.小熊英二「社会を変えるには」(講談社新書)

 

2.荒正人「荒正人著作集第一巻(解説/本多秋五)」(三一書房)収録、『文學時標』発刊の言葉 「石もまた、叫ばん」

 

荒正人全集第一巻目次

I         Ⅱ         Ⅲ

第二の青春     火         戦後

民衆とはたれか   自分の蝋燭     批評の変貌     

終末の日      負け犬(アンダ・

民衆はどこにいる       ドッグ)

三十代の眼

晴れた時間

白鳥的ペシミズム

ぺチョーリン

なかの・しげはる論

後記

 

【注】

1.荒正人、『第二の青春』

2.『文学時標』発刊のことば, text2として収録。

3.『アナイス・ニンの日記』

4.Joseph Conrad, Heart of Darkness.『闇の奥』中野好夫訳  

ベトナム戦争を取り上げた映画『地獄の黙示録』(1979F.コッポラ監督)は、19世紀終わりのヨーロッパ列強によるアフリカ大陸分割の悲惨さを取り上げたこの作品をもとにしている。